ダイヤモンドダスト
初めて書いた正吉くんと蛍ちゃんの物語です。今読み返すと稚拙で、顔から火が出る思いですが、二人の幸せな姿を見たかったので・・・

正ちゃんがあたしを抱いたのは、快が生まれて3ヶ月くらいたってからだった。
その頃はまだ、正ちゃんは内田建設に勤めていた。
正ちゃんが帰ってくる車の音がするとまもなく、正ちゃんの弾んだ足音が聞こえる。

ただいま!

子どもみたいに声を張り上げる正ちゃん。
あのころとおんなじ。訳もなく微笑んでしまうあたし。

お兄ちゃんとあたしと正ちゃんが三人で暮らしていた頃・・
お兄ちゃん達が帰ってくるとすぐにわかった。
遠くから正ちゃんとお兄ちゃんの笑い声、
そして、二人で転げるように土間に入ってくる。

ただいま!

正ちゃんは元気に言うと、あたしににっこり笑いかけたものだった。
たまに、お兄ちゃんだけ、ぼそぼそと言いながら入ってくることもある。
そんな時、あたしはお兄ちゃんをにらんだ。

お兄ちゃん、まだまきが割ってないでしょ。どうするの!

お兄ちゃんがもぞもぞ言い訳をする。
その時にはもう外で正ちゃんがまきを割ってる音がする。
お兄ちゃんと正ちゃんはだいたい二人で行動していたから、
不満があるときはお兄ちゃんに向かって言うようにしていた。
あたしは決して正ちゃんには言わなかった。
なのに、正ちゃんはあたしを恐れているようだった。

お兄ちゃんは料理は嫌いだったけど、正ちゃんはよく手伝ってくれた。
小さな頃からおじいちゃんと二人きりで暮らしていた正ちゃんは料理が上手だった。

産後の体は大事にしなくちゃといって、快が生まれた後しばらくは
正ちゃんがご飯を作ってくれた。

「快」という名前は、あたしが付けた。
患者さんが快復して元気になっていくように、快の存在があたしを支えてくれた。
黒木との生活で傷ついた心を、正ちゃんはやさしく包んでくれた。


その日、快の3ヶ月検診が保健文化センターであった。
誇らしげに子どもの世話をする母親の一人としてあたしもそこにいた。
正ちゃんと結婚しなければあたしは決してこんな穏やかな気持ちでここにはいない。
快と人前に出る時、いつもあたしはそう思う。

笠松快くん

一通り検診が終わった後、保健婦さんが名前を呼んだ。
育児の相談や、産後の母親の体についての話など保健婦さんと気軽に話せるように個別に話をする機会がある。

はい

返事をして快を抱いたあたしはふと、誰かの視線を感じて横を向いた。

知らない人だった。でも、どこかで見たことがある。そんな気がした。
目が合うと彼女はさりげなく視線をはずしたが、あたしのことを知っている?
笠松快の名前に反応した、そんな感じだった。
個室に入るとさっきの女の人のことは忘れてしまった。

蛍ちゃんじゃないのー。

部屋に入るなり、声をかけられてあたしはとまどった。
急いで、白衣の胸のネームプレートを読んだ。

「田中」・・・「田中」

ああ、中学校のときの同級生だ。明るくて活発な人でだれとでも気軽に話せる人だった。
あの頃のあたしはと言えば、無口でおとなしい子だった。
だって、友達と何を話していいのかわからなかったのだもの。
お兄ちゃんと、父さんと、あたしが住んでいた家には電気がなかった。
当然、テレビもない。みんなが話題にするドラマも、歌番組もあたしは知らなかった。
みんなは別に意地悪をしているわけじゃないのだけれど、
あたしは一人取り残されているような気がして黙っていた。
そんなとき、あたしはいつも母さんを憎んだ。
母さんがいけないのよ。父さんを捨てていったから・・・
初めての生理が来た時も・・
修学旅行のお弁当を用意する時も・・
運動会の時も・・
学校行事があるたびに、あたしは母さんを憎んだ。
母さんを憎めば、父さんを憎まずにいられたから・・
ニコニコしながらあたしを見ている田中さんに引き込まれるように少し雑談をした。

笠松さん、母乳は出ていますか?

田中さんの態度が急に職業的なものに変わる。すばやい変わりように看護婦をしていた頃のあたしの姿が重なってなんだかおかしかった。チェック項目にそっていろいろ聞いてくる彼女にあたしも事務的に答えていた。

かわいい子ね。お父さん似かしら?

えっ?

あたしはうろたえた。すでに田中さんの口調は同級生のそれに変わっていた。

お父さんはきっといい男ね。
気をつけなさいよー。産後の体がどうのこうのっていって
この時機に浮気する男ってけっこういるんだから。
子どもにばっかりかまけてないで、だんなさんも大事にしなくちゃだめよー。
蛍ちゃん、体の方はもう大丈夫なんでしょ?

冗談めかして言う彼女になんと答えたか覚えていない。
彼女が何を言ったのかはわかった。
慌てて部屋を出ようとして、あたしは次の人とあやうくぶつかりそうになった。
さっきの人だ。
彼女はあたしを見ないようにしながら、あたしを見たのがわかった。

・・まゆみさんですね。

ドアを後ろ手にしめたとき、田中さんの声が聞こえた。

−蛍ちゃん、体の方はもう大丈夫なんでしょ?

田中さんの声が耳の奥で聞こえる。

信じてもらえないかもしれないけど、正ちゃんはあたしの唇にさえふれてない。
正ちゃんがあたしにプロポーズしてくれた時、
あたしのおなかにはすでに快がいた。
正ちゃんと二人で夜を過ごす機会はあったのに
正ちゃんはあたしに触れようとしなかった。
そして、あたしの体を気づかってくれた。
あたしは、そんな正ちゃんのやさしさに甘え、何も言わなかった。
それまであたしは正ちゃんを男として意識したことがなかったので
正ちゃんが触れてこないことに安堵していた。
結婚式を挙げてまもなく、あたしは快を産んだ。
産後の快復は順調だった。1ヶ月もすると正ちゃんはどんなに疲れて帰ってきても
快をお風呂に入れてくれた。

−二人の子どもにすりゃあいいじゃねえか。

その言葉どおり、正ちゃんは快の面倒をよく見てくれた。
快の父親になることこそが正ちゃんの望みだったかのように・・・
正ちゃんが何も言わないのをいいことに、今日まであたしは気づかないふりをしてきたのだった。

この時機に浮気をする男もいる。か、

快を抱いてぼんやりそんなことを考えながら駐車場のロータリーに腰をかけていた。
何となく、このまま家に帰る気になれなかった。
センターの自動ドアが開いて、さっきの女の人が赤ちゃんと出てくるのが見えた。
彼女はあたしを認めると立ち止まって、意を決したようにあたしの方へ歩いてきた。

笠松正吉君の奥さんでしょ?

そうですけど。

あたし、中川真由美、加藤真由美って言った方がいいのかな。

その名前に聞き覚えはなかった。彼女は小柄で、ちょっとふっくらしていて
そう、どこかで見たことがあると思ったのは、つららさんに似ているんだ。

ごめんなさい、あなたのこと覚えてないの。どこかでお会いしましたか?

ううん。あたし正吉君の知り合いだから、知らないと思うな。

なんて答えたらいいのかわからず、あたしは黙っていた。正ちゃんとどんな知り合いなのだろう、あたしの知らない正ちゃんが彼女の口から語られる予感が、あたしをうちのめしたことにあたしはうろたえた。

昔、ちょっとね。なつかしかったものだから声かけちゃった。正吉君、元気?

ええ、元気です。

そう。

その人はまだ何か言いたそうにしていたけれど、あたしが黙っていたので口をつぐんだ。腕の中で快がむずかった。

パパ似なのね。

(えっ?)

不思議なことに快はお父さん似と言われることが多い。正ちゃんを知っている人からも知らない人からも・・・それは快があたしに似てないってことなのか、本当に正ちゃんに似ているからなのかあたしにはわからなかった。あたしにわかったのは、誰かがそういうたびに正ちゃんが嬉しそうにするってことだけ。正ちゃんの笑顔があたしをあたたかくやさしい気持ちにさせる。快がおなかにいるとわかった時、あたしと黒木の関係は冷え切っていた。あたしが黒木に黙って快を産もうとしたのは、黒木への復讐からだった。

今から思うと、あの頃あたしは少し変だった。黒木と言い争うたびに、黒木は部屋にこもってチェロを弾いていた。自分だけの世界にこもって、あたしに何の言い訳も、慰めもなく。傷ついた心を抱えたあたしには涙以外に自分を支えるものが何もなかった。出口の見えない毎日にあたしも黒木も疲れきっていたのかもしれない。そんな時、快の妊娠に気づいた。黒木の知らないところで黒木の血を受け継ぐ命が芽生えている。この命はあたしだけのものだ。黒木にチェロがあるようにあたしにもこの子がいる。熱に浮かされたように思いつめたあたしはかばん一つ持って落石を出た。・・・そして、正ちゃんの手をとった。

正ちゃんは昔一緒に暮らしていた頃とちっとも変わっていなかった。ちょっとぶっきらぼうだけど、いつもあたしやお兄ちゃんを気づかってくれた。お兄ちゃんがしなければならなかったことをやりのこしたとき、正ちゃんは黙ってカバーしてくれていたように、あたしにもそうしてくれている。そうしてあたしは黒木への思いを忘れていった。

あたしが黙っていたので、その人はちょっと照れて

じゃ。

と言って車の方へ行ってしまった。後ろ姿を見送りながら突然あたしは思い出していた。

−ほかの女と付き合ったことはあったけど・・・

あの時あたしは混乱していたのでその言葉の意味をよく考えなかった。その後も思い出すことはなかった。

−ずーっと空家だ。

あたしにはそれを言った時の正ちゃんの声が残っていたから。さっきからぐずぐず言っていた快が本格的に泣き出し、あたしは快を抱きなおすと車にキーを差し込んだ。

じゃあ、あの人が正ちゃんの彼女だった人?正ちゃんが愛した人?
夕飯の支度をしながらあたしは昼間のことをずっと考えていた。
あたし真由美と言った時のあの人のふっくらした唇を思い出す。あの唇に正ちゃんは触れたのだろうか。やわらかくウェーブのかかったあの髪に正ちゃんは指を差し入れたことがあったのだろうか。正ちゃんは・・

そこまで考えてあたしは苦しくなってその場にしゃがみこんでしまった。そして、愕然とした。

あたしは正ちゃんを知らない。

ただいま!

正ちゃんが帰ってきたことにあたしは気がつかなかった。

快はぁ? ?

いつものように寝ている快のところに行こうとした正ちゃんは、台所にうずくまっているあたしに気づくと、驚いて寄ってきた。正ちゃんはあたしの腕をつかむと顔を覗き込んだ。

蛍!何があったンだ!

・・・

気がつくとあたしの頬は涙でぐしょぐしょにぬれていた。

快がどうかしたのか!

あたしが首を横に振るのを確かめると、正ちゃんはちょっと安心したようだった。

親父さんか?純か?・・お袋か?

正ちゃんの矢継ぎ早の質問に首を振り続けるうちにあたしはたまらなくなって正ちゃんの首にしがみついて泣き出してしまった。正ちゃんの手がそっと背中に触れるのを感じた。その手の感触が気持ちよくてあたしはしばらくそのまま泣いていた。

蛍、あいかわらず泣き虫だな。

あたしの嗚咽がようやくおさまると、正ちゃんはあたしの顔を覗き込んで指先であたしの頬にふれると、流れる涙をそっとぬぐった。

あたしたちは居間の座卓の前に移動してすわっていた。

正ちゃん、まゆみさんって知ってる?

正ちゃんがかすかに息を呑むのがわかった。

会ったのか?

うん。今日・・・3ヶ月検診で・・笠松正吉君の奥さんですかって声かけられちゃった。

しばらく正ちゃんは黙っていたが、

気にすンな。ずっと昔のことだ。

と言って、にっこり笑った。それからいきなり正ちゃんはすっとんきょうな声を出した。

もしかしてぇ。蛍ぅ。妬いたのかぁ!

ばか。

あたしは小さく言うと、赤くなるのが自分でもわかって正ちゃんの顔が見られなかった。すると、正ちゃんはあたしを抱くようにして腕をつかむと言った。

蛍ちゃん、オレ、もうがまんができねェンだ。

そのあと、正ちゃんとあたしはただの男と女になった。抱かれることに後ろめたさを感じないですむ初めての経験だった。
正ちゃんの体は とても あたたかかった。
                            
                                 おしまい
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