「さてと、いよいよカウントダウンを始めますか。」

矢部先生がそう言ったのは、2月の半ばのことだった。
3学期になってから配られる週予定の日付の下にもう一つ別の数字が書き込まれていたことにぼくは気づいていたので、あ、やっぱりと思った。
その数字は43・42・41・・・と、一つずつ減っていた。土曜、日曜はお休みだから数の中には入っていなかった。
それはぼくたちの卒業までの残された日を表す数字だったのだ。
学校に来る日があと26日になったところで、先生は
カウントダウンをやるよと言ったのだった。
ぼくたちのクラスは全部で26人いる。

先生はノートくらいの大きさの色画用紙を取り出した。
その色画用紙には一枚一枚、「あと26日 浅井雄太」「あと25日 新井詩織」というようにぼくたちの名前と残りの日にちが書かれていた。
ジェンダーフリーとかいうやつで、ぼくたちはおいうえお順の男女混合名簿なのだ。
ぼくは「かさまつ」だから、3番目、「あと24日」の紙だった。

「これから毎日このカウントダウンカレンダーをめくります。みんなはこの紙にメッセージを書き込んでください。今日はあと26日だから、この紙に浅井くんへのメッセージを放課後までに書いておいてくださいね。忘れちゃだめだよ。」
先生は「あと26日 浅井雄太」の紙を高くかかげながら言った。
「えっつー。女子のにも書くのー?」
休み時間は外でサッカーをしたいぼくたち男子はぶうぶう言ったけど、
先生はとりあってくれなかった。
「いいから、書くの。わかったね。」
先生はぼくたちに気が進まないことをさせる時は、
「うるさーい。聞かなーい。わたしはゴーイング・マイ・ウエイだからね。」と言ってた。
『わが道を行く』という意味らしいけど、
ぼくたちはそういう先生のことを「強引・マイ・ウエイ」だと言っている。
でも、みんなけっこう楽しんでメッセージを書き出した。
女子は『バイバイ帳』とかいうのを買ってきて、となりのクラスの女子にもまわしていたけど、男の子はそういうことはしない。だから、先生の発案でクラスみんなのメッセージがもらえるってのはちょっと嬉しいことなんだ。

その日の20分休み、ぼくは西野さんへのメッセージを書いていた。
西野さんはものすごくおとなしい人で、6年で同じクラスになって一度も話をしたことがない。だから、何を書いていいかわからなかった。
「・・・お世話になりましたもへんだしなあ・・」
さっきから何も思い浮かばず、ぼくはちょっといらいらしていた。

裕介くんがぼくの机のところまでやってきた。
「よ、笠松くん。ねえ。昨日、『まるてんえん』でなに買ったのかな?」

あーあ、やっぱり、ばれてるよ。

裕介くんとはふだんからそんなに遊んでいなかった。裕介くんは秋まで野球チームに入っていたし、ぼくはサッカーチームだったから、放課後も遊ぶ機会がなかった。野球もサッカーも引退した今は、裕介くんが塾に行かない日に時々遊ぶようになった。比較的新しい友だちだった。裕介くんは私立の中学校に行くことが決まっている。ちょっと怒りっぽいので、みんなは気をつけて口をきいていた。

ぼくは無視することにした。
ぼくがあからさまに無視したのが裕介くんには気に入らなかったらしく、さらにからんできた。
「ねえ、ねえ。彼女にプレゼント―?」
「・・・・・」
「あ、やっぱりそうなんだ。ねえ、だれ?だれ?」
「・・・・・」
それでも、ぼくは黙っていた。昨日の思い出が汚されていくような気がしていた。
裕介くんは何も言わないぼくに、なんとしても何か言わせたいようだった。
「みなさーん、聞いてくださーい。笠松くんは―・・・」
ぼくは思わず立ち上がってさけんだ。
「やめろよ!」
「なんだよ!」
裕介くんはぼくの剣幕にちょっとびびった感じだったけど、ぼくの胸を突いて押した。ぼくは押されて机の角にいやというほど脚をぶつけてしまった。
「なにするんだよ!」
もう、がまんができなかった。気がつくとぼくは裕介くんになぐりかかっていた。あとは、お定まりの取っ組み合いになって、周りにいた男子たちがぼくらを引き離し、女子が職員室にいた矢部先生を呼んできた。

緊迫した表情の女子に手を引かれるようにしてやってきた矢部先生は、ぼくたちがけがをしていないのを確かめると、一通り話を聞いた。そして、のんびりと先生は言った。
「ま、男の子だからたまにはこういうこともあるさ。」
「先生、それってありですか?」
いつもひょうきんなことを言ってみんなを笑わせる亮平くんがおどけて言った。
亮平くんはしょっちゅうだれかとけんかするのでしかられてばっかりだからだ。
「たまにはね、亮ちゃん、た ま に は。」
先生がそう言うと、みんなが笑った。
そして、それで終わりになった。

みんなにとってはよくある日常の一場面に過ぎない。

だけど、ぼくはずっといやな気分だった。
今まで、ぼくはけんかもあまりしたことがなかった。ましてや、人をなぐったのなんか初めてだったンだ。

放課後、ぼくは矢部先生に呼ばれた。
ぼくが教室を出るとき、裕介くんがぼくを見た。

みんなの前では言えなかった事情なんか聞いてくれたあとで、先生は言った。
「笠松くんが裕介くんをなぐった事は確かによくなかったけど、
ときには今日みたいに自分の気持ちをぶつけることも大切なんだよ。
笠松くんはどっちかっていうと、いつも自分の気持ちをおさえてきたでしょ。
気持ちをおさえることも必要だけど、
そういうことは大人になるまでにゆっくり学べばいいの。
けんかをしても何でも今は友だちといっぱいかかわることが大事なんだよ。
失敗をおそれないでさ。
笠松くんはサッカーをやってるからわかるだろ。
試合で相手に絶妙のパスを出すには、何千回ものパス練習が必要だってことさ。
今のきみは練習段階なんだよ。」

ぼくはなんだか気持ちが楽になった。

「先生、ぼく、これから裕介くんにあやまりたいんですけど。」

先生はにやっと笑って、ぼくの腕をつかみ、後ろ向きに体を回転させた。
目の前に裕介くんが立っていた。



ぼくたちは今、「総合的な学習の時間」の最後の仕上げに入り、パソコンで作文を書いている。
6年生では国語でも理科でも環境を扱った勉強が多くて、
ぼくたちは総合でも「環境」について勉強をしてきた。
2人1組でテーマを決めて調べ、発表をした後、それを作文にするのだ。
ぼくは、木暮智哉くんと組んでやっていた。これも名簿順だ。
ぼくは最初木暮くんと組むとわかったとき、がっかりした。
木暮くんは、口数が少なくて、いつも何だかぼんやりしている。
矢部先生なんか三日に一度くらい、
「ともちゃん、気を失ってる場合じゃないよ。」
と、はっぱをかけている。ほんとに気絶してるってわけじゃないんだけどね。

ぼくたちのテーマは「森林破壊」だった。
智哉くんは何を言ってもはっきりしないので、結局、ぼくがほとんど一人で調べた。
でも、智哉くんは、「これして。」「ここを書いて。」と頼むと、黙々とやってくれる。
最近はけっこういいコンビじゃないかなと思えるようになってきた。
智哉くんは案外、パソコンの操作が得意なんだ。
ぼくんちはパソコンがないから、学校でやるだけなので
それほど上手じゃない。
でも、智哉くんは家に帰るとずっとパソコンをいじってるっていうだけあって、軽々とこなしている。

ぼくは作文を書きながらずっと疑問に思っていたことがある。
ほかのグループの発表を聞いてても感じていたんだけど、
結局、地球環境を汚しているのは人間が生きてるからなんじゃないだろうか。
ってこと。
ぼくのおじいちゃんの暮らしは、そうでもなさそうだけど。
でも、おじいちゃんみたいな暮らしをしている人なんて
おじいちゃんのほかにいるのかな?

人間がいなかったらほかの動物はもっと生きやすいんじゃないだろうか。
人はなぜ生きているんだろう?
ほかの生き物をぎせいにしながら・・・・

ぼくには、わからない。


ぼくは食卓で宿題をしながら、お母さんに聞いてみた。

「お母さん、人はなんで生きてるのかな?」
「?」
お母さんは、一瞬、困ったような顔をした。それから、ゆっくりと
「お母さんにも、まだよくわからないわ。」
と言った。
「どうしてそんなことを言うの?」
「生きてるってことに何か意味があるのかなと思って。」
「・・・・」
ぼくはうまく説明できそうもないので、それ以上は言わなかった。
ぼくもお母さんもその後はずっと黙っていた。漢字の宿題が3ページも出ていたので、宿題をやる方に気をとられていたし。お母さんは、時々心配そうな顔をしてぼくの方を見ていた。

「快、お前、何か学校でいやなことがあったんじゃないのか?」
お風呂から出た後で、コタツにあたってテレビを見ていたら、お父さんが突然聞いてきた。
「ううん、なんにもないよ。」
「そうか、ならいいんだ。もし、なにかまずいことがあって、自分で解決できないと思ったら、迷わずお父さんやお母さんに言うんだぞ。わかったな。」
お父さんはきっとお母さんからあの話を聞いたんだ。
お父さんもお母さんもぼくが学校でいじめにあってるんじゃないかと心配してるんだと思う。
「うん、ありがとう。でも、だいじょうぶだよ。ぼく、学校が楽しいから。」
お父さんは安心したような顔になった。二人とも心配性だ。



3月24日 ぼくたちの卒業の日がきた。

いつもの登校時間より1時間遅れて登校することになっていたのに、ほとんどの人が
いつもと同じか、それよりちょっと遅いくらいに登校してきた。
みんなめかしこんで、緊張している。
裕介くんと中島さんは私立中学に進学するけど、あとはみんなこの町の公立中学だからお別れっていうほどでもないんだけど。

矢部先生が教室に入ってきた。袴をはいた矢部先生は別人みたいだった。
「さあ、席について。式場に入る前にこれをみなさんにわたさなくちゃね。」
そう言って取り出したのは、みんながメッセージを書いていたカウントダウンカレンダーだった。
「浅井くん・・・はい、おめでとう。新井さん・・・・はい、おめでとう。笠松くん・・・はい、おめでとう。木暮くん・・・」
先生がひとりひとりの名前を呼びながらメッセージカードをわたしてくれた。

ぼくは椅子にすわってぼくに書かれたメッセージをひとつひとつ読んでいった。
「笠松くん、いろいろありがと。楽しかった。 智哉」
ううん、ぼくの方こそ、ありがとう。
「中学校でもサッカー、がんばるぜ。レギュラーとるぞ! 英樹」
おい、こら、ぼくへのメッセージはどうした、英樹。
ぼくの目は裕介くんが書いたメッセージにくぎ付けになった。

―――――笠松のあの一発はきいたぜ。中学校でもあの気合でがんばれよな  
そう、書かれていた。
その前の部分に―――中学校に行ってもサッカー部でかつやくしてください。裕介
と書いてあったから、たぶん、あのけんかの後で書き加えたんだろう。
ぼくは裕介くんのほうを見た。裕介くんもこっちを見ていて、にやっと笑った。

「カウントダウンは今日でゼロになりました。でも、これは終わりってことじゃありません。みなさんは今日、卒業して小学校生活は終わりです。でも、明日からは新たな始まりがあるわけです。たったひとつしかない命を粗末にすることなく、新しいことに挑戦していってくださいね。楽で平らな道ばかり歩いていたんでは、決して山の頂上にはたどりつけないよ。」

卒業式ってことで、先生の話はいつもよりお説教めいていた。

そのあと、5年生が胸に生花をつけに来てくれた。ぼくは明日美ちゃんにつけてもらった。そして、ぼくたちは式場に向かった。

新たな始まりのためのカウントダウン

ぼくにはどんな始まりが待ってるのだろうか。ぼくはどんな山にたどりつけるんだろうか。

「卒業生 入場」
教頭先生の声が聞こえた。
体育館にはパッヘルベルの『カノン』が静かに流れていた。
ぼくは頭を上げて体育館に一歩をふみ出した。
保護者席の前を通るとき、黒いスーツ姿のお母さんがハンカチで涙をぬぐっているのが目に入った。

卒業式が終わって、校庭で写真をとったり、ふざけたりしたあとぼくはお母さんと歩いて家まで帰ってきた。
お母さんと歩くのは久しぶりだった。


「快、あなたこの前、何のために生きるのかって言ってたわね。」

家の近くまできた時、お母さんが静かな口調で話し出した。

「お母さんあれからずっと考えたんだけどね。あなたが
生まれたとき、お父さんもお母さんもとっても嬉しかった。
あなたにはこの世の中で一番幸せな子になってほしい、そう思った。
そう思って育ててきたわ。
あなたを失うことを考えただけでも気が変になりそうだわ。
あなたが生きている、それだけでお父さんもお母さんも幸せな気持ちになれるの。
あなたが生きてるってことだけで幸せになれる人がいる。
それもりっぱな生きてる意味になるんじゃないかな。
あなたにまだ生きる意味がわからないんだったら、
お父さんやお母さんのために今は生きててほしいの。
答えになってないかもしれないけど、
今のお母さんの気持ち・・。だから・・・。」

「・・・わかったよ。ありがとう、お母さん。」
ぼくがそう言うと、お母さんは何だかとても安心したような顔になった。

本当は、生きる意味なんてまだよくわからなかったけど、
お母さんがぼくのために一生懸命考えてくれたのが嬉しかった。
お父さんもお母さんもぼくのことを大切に思ってくれてる。
それがよくわかった。

心配しないで、お母さん。ぼく、まだ小学校を卒業したばかりだもの。
生きてる意味はこれからじっくり考えていくことにするよ。

ぼくたちが歩いている道沿いの畑に 菜の花が咲き始めていた。

                            おしまい


                  最後までお読みくださってありがとうございました。
                       第四話   卒業
カウントダウン
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