その日、蛍は足取りも重く帰宅した。あれから正吉のことをずっと考えていた。考えるまいとしているのに、気がつくといつも正吉のことを考えている。そして、その後で決まって訳のわからない寂しさに陥るのである。
 ぼんやりしながらアパートまでやってきてふと顔を上げると、入り口に何やら大きな包みが置いてある。近寄ってみると、新聞紙に包まれたそれは麓郷の街道で子どもの頃から目にしていたオオハンゴンソウだった。
いったい誰が・・・
いぶかしく思いながら抱えあげた蛍の足元にひらひらと紙が落ちてきた。

− また来ます。正吉

 突然、胸がぎゅっと締めつけられるような気がした。一緒に暮らしていた頃はもっとへただったが、見覚えのある正吉の文字だ。
 あんなふうにプロポーズを断ったから、正吉は二度と蛍の前に現れないだろうと思っていたのに・・・「また来ます」ということは、これからも来るということ?ということは、正ちゃんはあきらめてないってこと?それともプロポーズとは関係なしに様子を見に来てくれるということ?
 そう思ったとたん、空虚だった心の奥の方にぽわんと温かい灯がともり広がっていくような気がした。先ほどまで感じていた寂しさがうそのように消えていく。孤立無援だと思っていたのに・・・・自分の存在を気にかけてくれる人がいる。そのことが無性に嬉しい。
 草太兄ちゃんは応援してくれると言った。でも、草太兄ちゃんには家庭があるから早々甘えてもいられない。「お兄ちゃんや父さんには言わないで・・」と言ったけれど、本当は誰よりもお兄ちゃんや父さんに知られてほしかったのかもしれない。心のどこかでそれを期待していたような気がする。
 でも、今は正吉が知っている。おかしな方法だけれど、手を差し伸べてくれた。その手にすがるわけにはいかないけれど、正吉の気持ちは素直に嬉しいものだった。
 
 蛍は急いでオオハンゴンソウの花束を抱えなおし、アパートの鍵を鍵穴に差し込んだ。花瓶がなかったので、とりあえずバケツの中に入れることにする。大きな束なのでどのみち花瓶では間に合わない。新聞紙を開くと、少しくったりした花から青臭いにおいが部屋いっぱいに広がった。
「明日、会社から何か入れ物を見つけてこよう。」
蛍は久しぶりに明るい気持ちになってそう思った。

 その夜はずっと、オオハンゴンソウを眺めて過ごした。ふと、顔を上げると見るともなしにオオハンゴンソウの方に目が行ってしまう。そんな自分に苦笑した。

 私と一緒になるってことが長いこと夢だった気がすると言ってくれた正ちゃん・・・何度も反芻している正吉の言葉が、蛍の意識の中で真実味を帯びてきた。プロポーズのための言葉だと思っていた言葉が・・・

 

 「黒板さん、お届けものです。」
ドアをノックする音に、一瞬正吉かと思ったが、正吉なら『黒板さん』と、呼ぶわけがないと思い返し、ドアを開けた。黄色の花束が視界の中に飛び込んでくる。宅配便のおじさんがニコニコしながら「サインお願いします」と渡してよこしたものは、昨日と同様大きなオオハンゴンソウの花束だった。
 今日は新聞紙に包まれていない。あの正吉がどんな顔をして宅配便の業者にこの花束を頼んだのだろうか・・・そう思うと蛍は笑いがこみ上げてきた。
 会社から持ってきた大き目のコーヒーの空き瓶はすでにいっぱいで使えない。蛍はまたバケツの中に今日届いた分を入れた。

 次の日も、その翌日もオオハンゴンソウは届けられた。蛍は街中でふんどし姿の飛脚の絵が描かれたトラックを見ると、正吉を思い出し、どきっとする。待っているつもりはないのに、会社で毎日オオハンゴンソウの入れ物になるようなものはないかと探してしまう。
 蛍が毎日、ビンだとか缶を探しているので、同僚が不思議に思うようになった。
「黒板さん、毎日そんなに何に使うんだい?」
「いえ、あのう・・・お花を入れようと思って・・」
「お花?」
「ええ、毎日たくさん届くので・・・」
「すっごーい!アイドル歌手か何かみたいじゃないか!熱心なファンがいるんだね。」
「いえ、そんなんじゃないんです。」
「じゃあ、どんなのよ。」
 黙っていようかと思ったが、誰かに聞いてもらいたいと思う気持ちの方が勝っていた。プロポーズをされて断ったこと、その後送り届けられる花のことなどを当たり障りのないように言葉すくなに語ると、同僚は感動した面持ちで
「うわぁ・・・ロマンチック!」
と声をあげた。
「その男、本気だよ。黒板さん。オオハンゴンソウっていうところがまたいいじゃないか。」
「・・・・・」
「いい男じゃないか」
「・・・・」
「嫌いなのかい?その人のこと・・」
「そんなことないけど・・・」
「なら、どうして断っちゃったのかねぇ。・・・惚れられるうちがはなだよ。惚れたら負けさ。」
「・・・」
蛍が何も言わずにいると、
「さあ、私も入れ物を探してあげようかね。きっと、あんたがOKするまで花が届くよ。」
と、ニヤニヤしながら行ってしまった。そして、帰りに蛍のところに空き瓶を持ってくると、
「早く必要なくなるといいんだけどね。ま、頑張りな。」
と、手渡してくれた。

−惚れたら負け・・・

 同僚の言葉で、久しぶりに黒木のことを思い出していた。あの頃、確かに自分は黒木に惚れて、黒木しか見えなかった、と思う。そして、苦しい思いをした。後悔はしていないが、再びあの気持ちを味わう気にはなれない。
 黒木なら女に毎日オオハンゴンソウを届けようなどとは思いつかないことだろう。だいたい、他の男の子どもがお腹にいるのにプロポーズしてくる男なんて、正吉くらいなものだと蛍は思う。

−あんたがOKするまで届くよ

 そんなことは蛍にだってわかっている。だから困っているのだ。

−困っている

 本当だろうか?あれから毎日のように届けられるオオハンゴンソウの花を、活けるものがないとこぼしていたけれど、花が届かなくなることを自分は望んでいるだろうか?望まないどころか、心待ちにしているのではないだろうか?
 すでに、オオハンゴンソウは部屋にあふれかえっていた。部屋一杯に広がる青臭い匂いをかいでいると、ふと、正吉がそこにいるような錯覚を覚えることがある。
 せっせと水を替えてはいるが最初に届いたものはいくらかしおれてきている。捨てるに忍びなかったが、次から次へと届くので、思い切って花瓶から抜き取り捨てることにした。
 毎日、オオハンゴンソウに囲まれオオハンゴンソウの世話をしていることで、蛍は自分でも気づかぬうちに正吉のことばかり考えて過ごしているのであった。

                                     
                                     づく

                         その2
100万本のオオハンゴンソウ
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