「蛍、やっぱりだめか?」
「だって、どこに飾るのよ。しまうとこだってないでしょ。」

お父さんはこの間からずっとお母さんに言いつづけている。
お父さんは菜々見にひな人形を買ってやりたいのだ。
菜々見の初節句の時はお父さんが入院していてそれどころじゃなかった。
次の年になると、なんだか買いそびれちゃったみたいなんだ。

お母さんは「家が狭い」とか、「今さらいらない」とかいろいろ理由をつけて
なんとかお父さんにあきらめさせようとしている。
「ひな人形は高い」
それが一番の理由なんだと思うけど、それはお父さんには言えない。
たぶん。
かんじんな菜々見がどう思っているか聞けばよさそうなものだけど、
お父さんもお母さんも聞かない。
菜々見には内緒にしたいんだろう。
それに、
聞けば「ほしい」って言うのに決まっている。
そうなれば、買わないわけにはいかない。
それがこわいんだ。
菜々見はそんなことも知らないでコタツでぐっすり眠っていた。

お父さんだって本当は買えないってこと、わかってるんだと思う。
でも、お母さんが「買おう」って言ってくれるのを待ってるんだ。

「狭いって、そのことだけどな、蛍。 あっちっち・・・」
「なにしてんのよう、気をつけて。」
お父さんはコタツ掛けにお茶をこぼした。
「オレな、蛍、ゆくゆくはこっちに家建てようかと思ってンだ。」

「えっ?」
ぼくは崇くんから借りてきたサンデーから顔を上げた。
「お父さん、それほんと?」
「ああ、ほんとだ。」

お父さんがこぼしたお茶をふきながら、お母さんが聞いた。
「富良野には帰らないつもりなの?」
「・・・帰れると思うか?」

お母さんは黙ったままお父さんを見つめ、それからゆっくりと首を振った。

「アイコさんだって、正子おばさんだって富良野には帰れねぇンだ。それに・・・」
お父さんはちょっとぼくの方を見てから続けた。
「あそこは・・人の口がうるさい。」
お母さんは小さく口を開けてお父さんを見つめると、そっとため息をついた。

「親父さんが心配ならこっちに呼べばいい。」
「父さんはお兄ちゃんと結ちゃんががいるから心配ないわ。
それに、あそこを離れるもんですか。それより、お義母さんのほうが・・・」
「おふくろか・・・それこそ、来ねえよ。昔っから自分の好きにしてきたんだ。
今だって気ままに暮らしてるじゃねぇか。」

お母さんはちょっとほっとしたみたいだった。

お父さんには言えないけど、桃井のおばさんがお母さんにいつも口うるさく言ってる。
「笠松さん、悪いことは言わないから、お姑さんと暮らすのだけはやめなさい。
たとえ、30メートルでもいいから離れて暮らす方がいいのよ。うちなんて見てよ。
赤木夏江がふたりもいるのよ。」
赤木夏江ってのはおばさんたちに人気のあるテレビドラマ「渡る世間は鬼だらけ」に出てくるおばあさんのことだ。桃井さんのおばさんはおじいさんやおばあさんとあまり仲がよくないのかな。おとなって難しい。子どもには仲よくしなさいって言うくせに、自分じゃできないんだ。

ぼくはおばあちゃんには数えるほどしか会ったことがないからよくわからない。
お父さんの話から想像するおばあちゃんは何だかとっても愉快そうだ。
でも、お父さんもおばあちゃんとはあんまり一緒に暮らしたことがないみたいだ。
ちっちゃなころからおじいちゃんと二人きりだったっていうし。
それを思うとぼくはお父さんがとってもかわいそうになる。
お母さんやぼくとだって離れて一人ぼっちで暮らしていたことがあるし・・
もう家族で離れて暮らすのはいやだ。
そう思ったら、涙がひとりでに出てきた。

「快はこの町で暮らすのはいやか?」
ぼくの涙をかんちがいしたお父さんはぼくに聞いてきた。
「ううん、ぼく、お父さんと一緒ならどこだっていいよ。」
「こいつ、かわいいことを言うじゃねえか。」
お父さんは嬉しそうに言うとぼくの頭をなでた。

「蛍はいやか?」
お母さんはくすっと笑うとおどけた声を出した。
「ううん、あたし、正ちゃんと一緒ならどこだっていいよ。」

うわあ、お母さん。
なんだか桃井さんちに似てきたね。

「やめろよお。」
お父さんはしきりに照れている。

「正ちゃん、・・あたし、富良野を出てきたときからその覚悟をしてきたわ。」
お母さんはまじめな顔に戻って言った。

「今すぐってわけじゃ、ねぇンだ。ここの町営住宅もけっこう居心地いいしな。
だけど、家族が増えたら狭くなるぞ。」
そう言うとお父さんはお母さんのおなかを見た。
「狭いながらも楽しい我が家よ。だから、正ちゃん、おひなさまを置く場所は今のところないのよ。」
そう言ってお母さんは笑った。
「やっぱり、そうなるか。」
お父さんはとうとう、おひなさまをあきらめたようだった。

そんなことがあった次の日曜日。
「ねえ、明日美ちゃん。ちっちゃくて安いおひなさまでいいんだけど、
どこに売ってるか知らない?」
困った時の明日美ちゃんだのみで、ウルフィーの毛を引っ張りながらぼくは明日美ちゃんに聞いてみた。
明日美ちゃんはけっこういろんな事を知っている。
「あ、それなら『まるてんえん』に行けばあるよ。」
『まるてんえん』ていうのは学校のそばにある、本当に小さなお店だ。
ぼくは行ったことがないけど、クラスの女の子たちはよく行っている。
手作りの小物が置いてある小さな喫茶店だ。
喫茶店といったって5人も入ればいっぱいになってしまうらしい。

「おひなさまなんか、どうするの?」
「うん、菜々見にどうかなと思って。」
「・・そうか、あたしはまたてっきりお姉ちゃんに何か買うのかと思った。」

あっ しまった。
そういえば、バレンタインのあとで、なにかお返しの日があったな。
なんて言ったっけ。そう、ホワイトなんとかっての。
すっかり忘れてた。
「あ、うん、そうだね。ありがと。」
しどろもどろになりながらぼくは明日美ちゃんと別れた。

『まるてんえん』は学校から100メートルくらい西に行った畑と住宅の間にあった。
本当にこじんまりしている。
外には民芸調の、ぼくにはガラクタにしか見えないんだけど、
つるで編んだ籠のようなものがいくつも置いてあって、植木ばちが入っている。霜で色が変わった草がはえていた。
『まるてんえん』の隣の畑にはねぎが植えられている。
本当にこんなところにおひなさまがあるんだろうか。
ぼくは心配になって、明日美ちゃんを信じたことを後悔した。

ぼくは営業中の札がかかっているガラス戸越しに中をのぞいてみた。
よかった。だれもいない。
こんな、女の子しか来ないようなお店に入るのを見られたら大変だ。
「ごめんください」
「はぁい」
やわらかい声がして、女の人が出てきた。
「いらっしゃいませぇ。」
足首までのスカートをはいて黒いエプロンをかけたそのおばさんは
この辺の、割烹着を着て、てぬぐいをかぶって外を歩いているおばさんたちとは明らかにちがっていた。
なんかおしゃれな感じがする。
「なにをさしあげましょうかぁ。」
え?なんかくれるの?
いや、ちがう、ちがう、なにを買うかってことだよな。

ぼくは店の中を見回した。畳4枚分くらいしかないようなお店に木のテーブルが2つ置いてあり、小さなものがそこらじゅうにあふれている。
指輪、ネックレス、ペンダント、布の人形、つるで編んだかご、ドライフラワー、何に使うかよくわからないままごとの小道具のようなもの・・・

「あの、おひなさまがあるって聞いてきたんだけど・・」
「ああ、これなのよぉ。見てくださぁい。」
おばさんが指差したところにおひなさまがたくさん飾られていた。
20センチくらいのものから5センチくらいのものまで、いろんなのがあった。
ぼくはげんこつくらいの大きさのかわいい顔をしたおひなさまのセットに目を留めた。

「これね。もとは河原の石なのぉ。」
おばさんがぼくに持たせてくれたおひなさまは、ずしっと重かった。
おひめさまは黄色い着物を着ていた。

菜々見が生まれたとき、病院からの帰り道、畑にいっぱい菜の花が咲いていたっけ。
「オオハンゴウソウみてえだな。」
お父さんはぼくの手をしっかり握って、何かを思い出すようにつぶやいていた。
それで、菜々見は
「菜々見」っていう名前になったんだ。

「石を綿でくるんで、その上に布をかぶせてあるのよぉ。」
「・・・」
「かわいいわよねぇ?」
おばさんはぼくに同意を求めるように笑いかけた。
おひなさまの黒いビーズの目がなんだかお母さんに似ていた。
値段もぼくに買えそうな値段だ。
「じゃ、これください。」
「プレゼントですねぇ。お箱におつめしますから、ちょっとお待ちくださぁい。」

おばさんが手際よくつつんでいる間、ぼくは壁にかかったいろんなものを見ていた。
その中にそのふくろうのペンダントがあった。
昔のキレって感じの布で作った小さなふくろうが3びき、5センチくらいの長さの小さな枝に止まっている。すごく、すてきだ。
「あの、すみません。これもおねがいします。」
ぼくが指差すと、おばさんは壁からふくろうをていねいに外すと、
「はぁい、ありがとうございます。小さくてお箱に入らないから
袋にいれておきますねぇ。」
そう言っておばさんはかわいい花がらの小さな袋に入れてくれた。

ぼくがお金を払ってお店を出ようとすると、新しくお客さんが入ってきた。
うわっ、やば。
裕介くんのお姉さんだ。
今、中学2年生で小学校の時はぼくらのサッカーチームに入っていた。
「やあ、快くんじゃない。しばらく。」
「あ、こんにちは」
ぼくはあいさつだけすますと、そそくさと店から出て急いで自転車にまたがった。

その日はお父さんが帰ってくるのが待ちきれなかった。
ただいま!
ああ、やっと帰ってきた!
「お帰り!」
ぼくは玄関に飛び出していってお父さんを迎えた。
おなかがすいたからご飯を食べたいというお父さんを無理やりコタツに座らせて、
ぼくは台所にいたお母さんをよんできた。
菜々見はさっきからコタツでテレビを見ていた。
「おい、菜々見。テレビ、消せ。」
ぼくは菜々見に向かって手を振った。

「なんなの、いったい。」
ぼくはきちんと正座した。そうしたい気分だった。
それから、おもむろに『まるてんえん』で買ってきたあの箱を取り出した。
「菜々見、あけてみろ。」
「なあにかなあ。」
菜々見は不器用に包み紙をやぶり始めた。お父さんもお母さんも菜々見の手元を見ている。
うう、緊張するなあ。
やがて、包み紙は全部取り去られ、菜々見はふたを開けた。

「うわあ、かあわいいー。お母さん、見てエ。おひなさまだあ。
男のおひなさまもいるうー。」
「まあ・・・」
「・・・・」
お父さんもお母さんもびっくりしている。
「お兄ちゃん、ありがとう!!」
へへぇ。

お母さんが何か言いたそうにしてぼくを見た。
ぼくはお母さんが何か言う前に、急いで花柄のあの小さな袋をわたした。
「?」
お母さんが袋を開けると、中からあの小さなふくろうが3びき現れた。
「・・かっくん。」
「ふくろうって幸せを呼ぶ鳥だって、桃井さんが言ってた。」
ふくろうを見つめるお母さんの目がうるんだかと思うと、みるみる涙が溢れ出した。
お母さんてほんとに泣き虫だ。
でも、お母さんの涙はとてもきれいなんだ。

「まいったな。」
お父さんがぼくの頭をなでながら言った。
ぼくは照れくさくなって立ち上がった。
「さ、ご飯食べよう!!おなかすいた!!」
でも、だれも立たない。菜々見はおひなさまを夢中になってなでているし、
お父さんは、おと・・あ―――っつ!
お父さんは泣いてるお母さんの肩なんか抱いてる!
そりゃないよ。お父さん。プレゼントあげたの、ぼくなんだよ!!

                                           つづく
  第三話   ひな祭り
カウントダウン
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