蛍は翼が立ち上がって鏡台につかまるのを見ていた。
翼はこの間からつかまり立ちをするようになった。

「つんちゃん、じょうず。」
蛍が声をかけると、翼は蛍を見てにこっと笑った。
そして、自分で手ばたきをしようとしてバランスを崩してしりもちをついた。
驚いたような顔をして蛍を見る。

そのしぐさが可愛くて、蛍は声を出して笑った。
翼を見ていると、小さかったころの快を思い出す。
快も、今の翼のように無心に蛍に笑いかけていた時があったのに。
いつから快はあんなに無口になってしまったのだろうか。

蛍は昨日の関根の言葉を思い出し、自分でも気づかぬうちにまた、ため息をついていた。

昨日、あれから再び、勤めに戻り、夕方保育園に翼を迎えに行き、
買い物を済ませてから家に帰った。
菜々見はすでに帰っていた。
家に帰ってもだれもいないので、学童で友だちと遅くまで遊んでくる。
宿題もそのときに済ませてしまうようだった。

快はまだ帰宅していなかった。
日がのびてきているので帰りは7時30分くらいになる。
家中で快の帰りが一番遅い。

正吉が帰ってきたのをつかまえて、蛍は台所で正吉に関根に呼び出された話をした。
蛍が日頃の快の様子を話すと、正吉は、

「心配することはねえだろ、オレだってオフクロとは中学校のころはほとんど
口きかなかったぜ。」
と、笑った。

「でも・・」
言いかけて蛍は口をつぐんだ。快の目つきについては正吉には言えない気がした。

「あたしのこと、避けてるみたいな気がしない?」

「さあな、中学生くらいの男ってあんなもんじゃねえのか。何か、心当たりでもあるのか?」
「ないから正ちゃんに聞いてんのよ。」

蛍はだんだんいらいらしてきて、つい、正吉に当たってしまった。

「反抗期ってやつじゃねえのか。まあ、そのうち、おさまンだろ。」

正吉は蛍ほどには心配してないようだった。
どうもこういうところは男親は無頓着のような気がしてならない。
自分と同じように心配してくれない正吉に蛍は少し腹を立てていた。
でも、正吉にそう言われると、蛍もそう思いたくなった。

「・・マーマ・・・」

翼はこの頃片言で話をする。
快の口は遅かったが、菜々見と翼は比較的早かった。

翼はさっきから鏡台のスツールにつかまって立とうとしていた。

土曜日の午後で、家の中には翼と蛍の二人きりだ。
正吉は外でさっきから車を洗っている。
正吉の明るい鼻歌が聞こえていた。

快は朝から弁当を持って部活に行っていた。
一週間後が郡市大会なので、早朝から他郡市まで練習試合に行っていた。

菜々見はスイミングのバスが通りまで迎えにきてスイミングに行っている。
平泳ぎができるようになったといって張り切っている。

「金を払って泳ぎなんか覚える時代になったんだなあ。」
と、正吉は笑ったが、別に反対はしなかった。

さっきからスツールと格闘していた翼は手を伸ばして鏡台につかまった。
蛍が見ていると、鏡台の引出しを開けようとしている。

「つんちゃん、そこは開けないでねえ。」
蛍はやさしく言って、翼の手を取り、翼が半分開けた引出しを閉めようとして
息を呑んだ。
手紙の束がほどかれている。
蛍は妙な胸騒ぎがして手紙の束を調べ始めた。

―――ない。

確かにここに、返って来た正吉への手紙を入れておいたはずだ。
あの中にはなにが書いてあっただろうか・・・

正吉から手紙が来なくなって不安な毎日を過ごしていた時に
正吉に宛てて書いた手紙だった。

蛍は混乱する頭で必死に手紙の内容について思い出そうとした。

―――快があなたの子どもじゃないからですか。

確か、私はそう書いた。

ああ、どうしよう。
快はあの手紙を読んだのに違いない。
なんということだろう。
だから、最近、私を避けていたんだ・・・

快に知られてしまった。
なぜ、私はあの手紙をもっとずっと前に処分しなかったのか、
なぜ、なぜ、なぜ・・・・

蛍は叫びだしたいのをかろうじてこらえた。
「正ちゃん・・」

正吉はあいかわらず鼻歌を歌いながら車を洗っていた。



                            
                                           つづく
                         第5章
手紙
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