萩尾望都・・・この方については「望都さま」とお呼びしなければ・・すまない気持ちの私である。「ポーの一族」の最初の方はまだ絵が練れていないと言うか、シンプルな印象を受けたが、メリーベルのかわいさに、もうくらくらしてしまった。そして、エドガーの妹への自責の念と深い愛情。よく考えれば、彼らは私たちよりずっと長く生きているわけだから、二人で過ごした時間だって普通の人よりずっと多いことになる。それでも、満足することなく、妹を追慕するエドガー。妹を思う兄、兄を思う妹というのは特別なものがあるのかなという気がする。
 吉田満氏の「戦艦大和の最期」で、麗人の写真を胸に抱いたまま空からの射撃で亡くなった方がいて、生前、みんなからその麗人について冷やかされた時も黙って微笑んでいたが、後でその写真の麗人はたった一人の肉親の妹だったということがわかった。というお話が書いてあり、多感な高校生だった私は滝のように涙を流した記憶がある。
 エドガーとメリーベルの話を読むたび、そのお話も思い出している。
姉と弟とはまた違うものがある。
 トム・クルーズとブラッド・ピットが競演した映画「インタビュー ウィズ バンパイア」の原作を読んだが、「ポーの一族」の主人公が少年少女たちであったためか、美しくはかない感じがあるのに対し、「どうもなぁ・・・ちょっといいかも。」(こんな感想でわかるかな?)という印象であった。ジェームズ・ディーンやりバー・フェニックスあたりだと惜しいという気になるが、クルーズやブラビでは「あんた達、もういつ死んでもいいじゃん。いっぱい生きたでしょ。」な気分なのである。
 それにしても、何百年も生きてても死ぬのはやっぱり怖いんだね。
 で、ポーの一族に話を戻すが、死ぬのは怖く、永遠の生に憧れているのに、身近にそれをもつ人間(?)がいると、「異端のもの」として怖れてしまう。確かに血を吸われる恐怖はあるにせよ、「自分と異なる存在」というのは許せないものなのだ。
 自分の情愛のおもむくままに、メリーベルを「許されざる」生き物にしてしまったことを悔やむエドガーの苦悩は深い。
 年はとりたくなくても、年老いていく楽しみというものがあるのかもしれない。

 高橋留美子の漫画に「人魚の森」というのがあるが、こちらは人魚を殺してその肉を食べると永遠の生が得られる。しかし、すべてが人の姿になるのではなく、「なりそこない」になると、醜悪な怪物になってしまう。いかにも日本的な漫画なのだが、手に入れがたい永遠の生が必ずしも美しいとは限らないということをこの漫画は教えてくれる。
ポーの一族   萩尾望都
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